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Whiskey - その2 Ballantine 【バランタイン】

Posted by 倖成卓志 on 14.2006 至福のウィスキー 0 comments 0 trackback
 1822年5月15日。
 当時13歳の少年ジョージは親とともにエディンバラへと赴いていた。実家はLowland 【ローランド】 で農家を営んでいるが、食料雑貨店を経営していたAndrew Hunter 【アンドリュー=ハンター】の元でこれから5年間、徒弟生活を始めるためである。
 少年の正確な姓名は、George Ballantine 【ジョージ=バランタイン】。ブレンデッド・ウィスキーの帝王・バランタインの歴史が始まる。


 近頃、一時は中断していたカクテル作りに再度目覚め、基本を学びなおすつもりでスピリッツばかり呷っています。でも、現在行き付けの飲み屋でウィスキーの魅力に取り付かれたその感覚を忘れないためにも、久々にウィスキーのことが書きたくなりました。
 では、本題。徒弟生活ですが、これは当時としては別に不思議でもなくて、日本でも丁稚奉公というものがありましたね。住み込みで、店主が「こいつは見込みがある」と思えば商売のノウハウを学ばせ、ゆくゆくは番頭にしたり、のれん分けをしたり。
 ただジョージは、ハンターの元にくすぶるつもりはなかったようで。


 果たして5年後の18歳。年季明けと同時に、エディンバラのCowgate 【カウゲート】 地方で店を開く。これが後の、George Ballantine & sons. ltd. 【ジョージ・バランタイン&サンズ】 社が幕を開けた。とは言え、当初ここで何を売っていのたか、どんな人たちが通っていたのかはまるで分からない。記録にないのだ。とにかく前進することのみ、考えていたのだろう。いつしか人気を高め、店が大きくなるにつれて名士たちもこぞって通うようになったという。
 彼が44歳の時のこと。ブレンデッド・ウィスキーの技術が登場した。そしてそれに触発されたジョージは学習と研修をひたすら積んでいった。なにせ18歳で、自力で独立した男である。成功への執着心はひたすらに高い。そして、ただの酒売り商としてではなく、ブレンダーとして商売を始めたのが60歳の時。もう引退を考えてもおかしくない年齢なのに、何ともパワフルである。


 面白いのが、ブレンダーとして店を開いたのが、エディンバラとグラスゴーということです。この二都市、性格がまったくと言っていいほど正反対。エディンバラといえば政治都市で、政治・学問の中心地。一方のグラスゴーは商業都市で、経済の中心地。東京と大阪といった感じでしょうか。
 互いの悪口を聞くと、どういう特徴をもった場所なのかが分かりやすいですね。
エディンバラ「グラスゴー? あそこの連中は人懐っこくて、友達にするにはうってつけだね。だけど下品で図々しいのが玉に瑕【たまにきず】さ」
グラスゴー「はっ、エディンバラだって!? あいつらは確かに頭はいいみたいだけどよぉ、すぐに人を見下しやがる。いっつもお高くとまってて、ムカつくったらありゃしない」
 日本でも商売や流行などで、東京では高い評価を受けても大阪では最低の評価を受けたり、逆に大阪で大人気を博しても東京では無視に近い状態になってしまうということもしばしば。それを考えるとジョージ、よくこんな無謀な挑戦をしたものだ(共倒れの危険性も高かったろうに)。それどころか、大成功してしまった。


 ジョージもやがて没する時が来る。82歳の時である。
 彼は子供たちに恵まれていた。長男のArchibald 【アーチボルド】 は、エディンバラの目抜き通りに店を構えることに成功し、バランタイン社はエディンバラきっての大人気店となる。一方で次男のGeorge 【ジョージ】 2世はグラスゴーでやはり人気を博し、ヴィクトリア女王からRoyal Walant [王室御用達] を受けることになった。
 その後もバランタイン社は発展を続けたが、やがて会社が巨大化し、手広い事業を行おうとする際に受ける”苦渋の選択”の時期がやってくる。特に島国であるイギリス、日本も同様だが、島国ならではの強烈なジレンマが襲い掛かる。
 国際競争力である。
 大陸であれば、国境があるとはいえ地続きであり、隣国の風習や感性の違いを肌で実感することができる(それを受け入れるかどうかはまた別問題だが)。しかし島国では、隣国とはすなわち、海などを隔てたまさに”未知の領域”である。他国の情報、他国との競争力とは、”わざわざ”学習すべきものであって、国際の舞台で争うということは”わざわざ”危険に飛び込む、命がけの冒険である。
 さて、バランタイン社の決断は?

 1919年、バークレー・マッキンレー商会に経営権を譲渡する。
 1935年、経営権をカナダのハイラム・ウォーカー社に譲渡する。
 この譲渡の条件は、伝えられているところによると破格、いや”タダ同然”に近いものだったという。バークレー・マッキンレー、及びハイラム・ウォーカーはそれぞれ、譲渡を受ける際に「これはどうしても受けなければならない」と思ったらしい。バランタイン社は国際の舞台に立つために、恥も外聞も一族の利益すらも捨て去ってまで、創業者ジョージの遺志を伝えようとしたである。
 1988年。ジョージ・バランタイン&サンズ(ハイラム・ウォーカー・スコットランド)社、ウィリアム・ティーチャーズ&サンズ社、スチュアート&サンズ社は合併し、Allied Distillers 【アライド・ディスティラーズ】社が生まれた。各系列の蒸留所を束ねるこの企業は、UDV社に次ぐ世界第二位のスコッチ会社となったのである。
 ジョージの遺志はなおも世界中を魅了している。




Ballantine FINEST
 【バランタイン・ファイネスト】

 40種類のモルト・グレーンをブレンドした、ブレンデッド・ウィスキー。現在は量販店やスーパーでも安価で購入できるためか、ありがたみが薄れているものの、その味と香りには値段以上の価値はある。


Ballantine 12 (GOLD Seal)
 【バランタイン12年(金印)】

 「12年」は本来、こちらの作品のこと。創業の際に品質保証として金色の封印が付けられ、その名を冠したのがこの作品。香りは甘く穏やかなのに、複雑な味わいを持つ。1999年、IWSC(国際酒類コンペティション)のデラックス・スコッチ部門で金賞。


Ballantine 17
 【バランタイン17年】

 1935年に経営権を獲得したハイラム・ウォーカー社が、ジョージ・バランタインの遺志を継ぐべく「最高のブレンデッド・ウィスキーを作りたい」という信念のもとに、マスター・ブレンダーであるGeorge Robertson 【ジョージ・ロバートソン】の指揮下、1937年に作り上げられた一品。有名なモルトはARDBEG 【アードベッグ】、BALBLAIR 【バルブレア】、GLENBURGIE 【グレンバーギ】、GLENCADAM 【グレンカダム】、MILTONDUFF 【ミルトンダフ】、PULTENEY 【プルトニー】、SCAPA 【スキャパ】。これら7つのモルトは「Magnificent seven (バランタインの魔法の七柱)」と呼ばれるようになり、現在でもこれらのモルトは、バランタインのブレンデッドに使われていることを誇りにしている。


Ballantine 12
 【バランタイン12年】

 「The nose (偉大な鼻)」こと Robert Hicks 【ロバート・ヒックス】 が作り出した『新』12年。日本人が水割りを好むことから、「水割りにして、氷を入れても香りの立つウィスキーを作りたい」という情熱の元に出来上がった作品。もちろん、水割りで飲みましょう。


Ballantine 30
 【バランタイン30年】

 32種類のモルトと5種類のグレーンをブレンドし、30年の熟成を経て作られるスコッチの最高品種のひとつ。年間でわずか2500ケースしかボトリングされない貴重品。「1ショットで1万円もする」などという一般の認識はバランタインの本意ではなかろう。おいそれとは近づけまい。それだけに機会があれば一度、じっくりと味わいたい一品である。



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