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Cocktail - 第28回 王者の贈り物(The Gift of the Prince)(その1)

Posted by 倖成卓志 on 16.2008 悠久のカクテル 2 comments 0 trackback

 すべての始まりは1689年の「イギリス名誉革命」でした。

 これについて詳しく話をすると、世界史の授業が1時限分必要となるので、要の部分だけ引用すると・・・

名誉革命(めいよかくめい、Glorious Revolution)は、1688年から1689年にかけて、ステュアート朝のイングランド王ジェームズ2世(スコットランド王としてはジェームズ7世)を王位から追放し、ジェームズ2世の娘メアリーとその夫でオランダ統領のウィリアム3世(ウィレム3世)をイングランド王位に即位させたクーデター。イングランドではほぼ無血革命だったため「名誉革命」と呼ばれるが、スコットランドやアイルランドでは無血ではなかった。清教徒革命と併せて、「イギリス革命」と呼ぶ場合もある。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E9%9D%A9%E5%91%BD)

 となります。
 誤解を恐れずに大雑把に言えば、イングランド議会がジェームズ2世の悪政に不満を抱いてこれを追い払った事件なのですが、議会がプロテスタント、ジェームズ2世がカトリックであったこともその要因のひとつとなっていたのです。

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 ちなみに、ウィリアム3世(オラニエ公ウィレム3世)がこの時にオランダから持ち込んだGenever 【イェネーフェル】というお酒が、イギリスで広まり、Gin 【ジン】と呼ばれるようになりました。

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 1689年2月13日、ウィリアム3世とメアリー2世が共同統治者としてイングランド国王に即位します。「権利の宣言」に署名し、「権利の章典」として発布されるのですが、これにより王位よりも議会の方が優位に立つことになりました。そして議会が「王位継承法」を制定したのですが、これがとんでもない反発を受けることになるのです。
 この法律で「ステュアート家の血統」で「イングランド国教会信徒」だけが王位継承権を持つことになったのです。つまり、カトリックでは王になれないのです。 ジェームズ2世(及びその子孫)が二度と王位に戻れないようにと議会が考えたものだったのですが、カトリックが多く、ジェームズ2世を支持していたスコットランドはこれに激怒します。フランスのルイ14世がジェームズ2世を後押しし、ここにジャコバイド(ジェームズ派)の反乱が開始されます。
 これは、1690年7月1日の「ボイン川の戦い」でジェームズ2世側が破れ、ジェームズ2世が再びフランスへ逃げたことで、反乱は一旦終結します。1707年、イングランドはスコットランドを併合し、Kingdom of Great Britain 【グレート・ブリテン王国】となるのです。

 しかしジャコバイドは再び立ち上がります。スコットランドにはスコットランドの王がいる、ジェームズ2世の子、ジェームズ=フランシス=エドワードこそが王である。それがスコットランド人たちの主張でした。1715年に一旦は大規模な反乱を起こしますが、あえなく失敗(このジェームズは「ジェームズ3世」を名乗りますが、イングランド史上では「ジェームズ老僣王」と呼ばれます。あくまでも「僭称(勝手にそう名乗っている)」という扱いです)。

 30年後の1745年。
 今度はその子であるCharles - Edward - Stuart 【チャールズ=エドワード=スチュアート】が立ち上がり、反乱を起こします。美しい顔立ちをしていたことから、Bonnie - Prince - Charlie 【ボニー=プリンス=チャーリー】(「可愛いチャーリー王子」という意味)の愛称で呼ばれます(ちなみにイギリス史上では彼は「若王位僭称者」「小僭王」「チャールズ3世」などと呼ばれます)。
 フランス国王ルイ15世に支持されて、チャールズは7月にスコットランドに上陸します。北部のハイランド地方を土台として、グレンフィンナン、スターリング、そしてスコットランドの首都・エディンバラの占領に成功します。11月8日にはイングランドへ侵攻し、カーライル、マンチェスター、ダービーへと南下していきます。しかし、ジャコバイドの多いスコットランドと違って、イングランドでは依然としてカトリック及びジャコバイドへの反発は強く、チャールズが呼びかけても参加してくれる人たちはあまりいませんでした。またチャールズはフランスに艦隊を出してくれるよう要請したのですが、イングランド側の司令官・カンバーランド公爵ウィリアム=オーガスタスが素早く行動したため、援軍は間に合わないと判断した彼はスコットランドへと退却し、グラスゴーで動静を伺うことにしました。政府軍は勢いに乗ってエディンバラへ入ります。

 年が明けて、1745年4月14日。ネーアンに入った政府軍に対し、インヴァネスにいたチャールズは戦うことなくその場から退散します。この地が、政府軍の騎兵隊や砲兵隊に有利な地形であり、一方のチャールズ側には騎兵や砲兵がなく、そのまま戦うことができなったのが原因でした。一部の武将たちはゲリラ戦法を提案しますが、チャールズはこれを一蹴してしまいます。
 翌15日、マリー湾岸のナイムにいた政府軍は、カンバーランド公の誕生祝いをしていました。チャールズはここへ夜襲を仕掛けようとしますが、これは失敗に終わります。前日の退散の時に、武器や食料をそのまま捨てて来てしまったのが原因で、ただでさえ貧弱な装備しかない軍勢は餓えとの戦いまで課せられることになってしまったのです。夜襲の途中で、空腹のために退却するという、前代未聞の恥ずべき出来事でした。
 翌16日。チャールズは湿地を戦場とします。政府軍の騎兵や砲兵の動きを封じる目的だったのかも知れませんが、素早い動きを身上とするハイランド兵にとっても不利な条件でした。彼には戦術家としての才能に恵まれていなかったといえるでしょう。そのうち、チャールズへの反発から参戦していた氏族たちの内紛や不戦などが起こり、政府軍の猛攻もあって、ジャコバイドは壊滅してしまいます。この戦いでカンバーランド公は政府軍の兵士たちに「負傷者であろうと殺してしまえ」と命じ、ジャコバイドたちを次々に殺したことから、「Butcher 【ブッチャー】(屠殺業者)」と呼ばれることになります。
 その上で政府軍はチャールズの首に懸賞金を掛けます。その値段は3万ポンド、現在の15万ポンドに相当します。(今年は世界中の為替レートが異常な数値を示しており、これをそのまま過去の物価と比較するのは危険です。2008年11月現在で1ポンド=約124円となっていますが、前年はおよそ200円で、それ以前まではおよそこの付近で前後していたのでこれで換算すると、チャールズに掛けられた賞金はおよそ3000万円となります)

 一方のチャールズは、ハイランド周辺を逃げ回るしか手がなくなります。この時、フローラという女性と出会います。彼女はチャールズを女装させると、自分の召使・ベティ=バークという偽の地位と名を与えて共に船に乗り、Skye 【スカィ】島まで連れて行きます。チャールズはスカィ島から無事、フランスへと逃げますが、フローラは反逆罪でロンドン塔へ幽閉されてしまいます。
 しかしやがて許されると、婚約者であったアラン=マクドナルドという男性と結婚し、アメリカへと渡りますが、折りしも独立戦争が起こり、マクドナルドはイギリス側に付いたため、敗戦後はカナダのノバスコシアという場所へ逃亡します。フローラは晩年になって夫・アランと共にスコットランドへ帰国し、1790年にスカィ島で没したようです。インヴァネスにはその功績を称えて、彼女の銅像が建てられています。
 この、スカィ島への逃避行を歌ったのが、Skye Boat Song 【スカィ・ボート・ソング】で、これは現在でもスコットランドで歌い継がれています。
 また、「My Bonnie」という民謡もできました。日本の音楽の教科書や音楽集にも載っている、有名な歌です。
 【My Bonnie】
 My Bonnie lies over the ocean
 My Bonnie lies over the sea
 My Bonnie lies over the ocean
 Oh bring back my Bonnie to me

 Yeah bring back, ah bring back
 Oh bring back my Bonnie to me to me
 Oh bring back, oh bring back
 Oh bring back my Bonnie to me

 さて、この戦いに勝利した政府は、タータンやバグパイプなどを禁止します。これによりスコットランドは完全にイングランド(グレートブリテン王国)の支配下となります。
 この戦いは、その地の名を取って「カロデンの戦い」と呼ばれます。
 逃亡したチャールズはもう二度とスコットランドの地を踏むことはなく、イタリアへ渡り、1788年にローマで没します。67歳でした。

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 さて、長くなりましたが、ここまですべてが前振りです。
 この表の歴史に隠れて、別のドラマが動いていました。
 チャールズは無事にスカィ島へ渡ったのですが、そこからフランスへ渡るときに最後まで手助けしてくれた人がいました。その名は John - Mackinnon 【ジョン=マッキンノン】。チャールズは感謝の印を贈りたかったのですが、なにしろ逃亡中で何もない。そこで、ベルトにくくりつけてあった瓶を差し出し、その中身の正体を告げるのです。これはステュアート王家で代々継承されてきたエリクシル(秘薬、霊酒)で、その存在は知られていても、その実態はごく一部の者しか知らないという、「王家の宝」でした。このレシピを受け取ったマッキンノンは、さすがに恐れ多いと思ったようで、販売することなく製法のみを一族の宝として、代々継承させていくことにしたのです。
 時は流れていきます。
 ステュアート朝は1714年のアン王女死去により終わりを告げ(ちなみに彼女はブランデー好きで、Brandy - Nan 【ブランデー・ナン】と呼ばれたりもしますが)、ハノーヴァー朝へと移ります。1901年、第4代のヴィクトリア女王の死後、その子エドワード7世によるサクス・コバーグ・ゴータ朝が誕生します。
 その治世、1906年のこと。エディンバラではそれまで誰も見たことも、聞いたこともないようなお酒が登場します。リキュールなのに、ウィスキーのように深い味わいを秘めながら、蜂蜜のように甘く、コクがある。
 その酒の名前は、ゲール語の「dram(飲む)」と「buidheach(満足な)」を合わせ、「満足すべき飲み物」という意味を込めたDrambui 【ドランブイ】といいました。
DRAMBUIE
 製造・販売したのは、あのジョン=マッキンノンの子孫である、Malcolm - Mackinnon 【マルコム=マッキンノン】という人物でした。(ただし謎がひとつ。この酒の名前は果たしてステュアート王朝で語り継がれていたものなのか、マルコムが名付けたものなのか、残念ながら分かりませんでした)。

 そして、このドランブイには「Prince Charles Edward's Liqueur」という文字が書かれているのです。
DRAMBUIE(label)
 マッキンノン家は未だ、チャールズへの尊崇の気持ちを忘れてはいないのですね。

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 主体となっているのは、15年以上熟成されたハイランド・モルト・ウィスキーで、他に約60種ものモルトやグレーン・ウィスキーが混合されています。インドネシアの花を乾燥させたもの、サフランを始めとするいろいろなハーブ、地元の蜂蜜などが配合されているようですが、当然ながら詳しいレシピは門外不出で、本当のところは何がどれだけ含まれているのかはまるで分かっていないのです。

 さて、実はこれもまだ前振りです。本題は次回にて。




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始めまして。
記事は遡ってすべて読ませていただきましたが
初めての書き込みとなります。

毎回情報量の多さに脱帽しています。
最近ウイスキーにはまり始めて、初ウイスキーとしてボウモア、メーカーズとこのドランブイを買い込みました。
ご紹介されるであろうカクテルもそうですが
単体で飲んでもすごくおいしいお酒ですよね。
「満足すべき飲み物」確かにその通りだと思います。
2008.11.18 07:11 | URL | Araway #- [edit]
>Arawayさん

 調べ始めるといろいろなことが分かって、キリがなくなり、それがまた面白くて沢山沢山書いてしまいます。
 初と言いつつ、なかなか良いセレクションですね。お酒に詳しい方からアドヴァイスを受けたのでしょうか。

 ドランブイは主に蜂蜜による喉越しの優しさがそのままでも飲める理由のひとつなのですね。「エリクシル(秘酒、霊薬)」というとたいていはすごく薬草臭いのですが、それがない分、万人受けするのでしょう。次回と次々回に登場予定のカクテルにも使えますし、薬としても飲めるので、1本あると重宝します。
2008.11.22 20:41 | URL | 倖成 #iqhSIKS2 [edit]


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 いざ、霊薬【エリクシル】を求めて・・・

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