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酒の飲み方エトセトラ(2)

Posted by 倖成卓志 on 21.2009 言いたい放題 0 comments 0 trackback
 酒のない
 国へ行きたい二日酔い
 三日目にはまた帰りたくなる
(詠み人知らず)
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 古代中国の戦国時代。
 北東にあった斉【せい】という国(現在の山東省の辺り)を、威王が治めていた時代(「威王」というのは賜号【しごう】(死後に与えられる称号))。淳于髠【じゅんう・こん】という人がいました。ある時、淳于髠の優れた意見のおかげで戦うことなく敵を退かせることができ、これを喜んだ王が酒宴を開きます。そこで王が尋ねます。
「先生はどれぐらい飲めば酔うのでしょう」
「一斗でも酔います。一石でも酔います」(一斗は約18リットル。一石は約180リットル)
「一斗で酔ってしまうのなら、一石も飲めないでしょう。どうしてなのか教えてもらえますか」
「もし、大王の御前で酒を頂戴した場合には、そばに司法官がおり、後ろに監察官が控えていることになります。わたしは恐れ入ってしまい、びくびく震えながら飲むことになるので、一斗飲み終えるよりも前にすぐに酔ってしまいます。
 もし、親のところに大事な客がみえたならば、わたしは身なりを整え、礼儀正しく振る舞わなければなりません。ときにはお流れを頂き、また客の長寿を願って杯を掲げたりしますから、わたしは、二斗も飲まないうちに酔ってしまいます。
 もし、友人と久し振りの再開を果たしたならば、思い出話に花を咲かせたり、身の回りのことなどを遠慮なく話したります。そうなれば、五斗か六斗ほど飲んで酔うことになるでしょう。
 村の集まりがあったらどうでしょう。男女がそれぞれ勝手気ままに座り、相手を引きとめてたり、一緒に酒を飲んだりします。やがて、すごろくやバクチ用の壺まで持ち出したりします。手を握ったり、流し目をしても誰も怒ったりせず、耳環(【じかん】。イヤリングのこと)やかんざしが辺りに散らばっています。わたしも楽しくて、ついつい八斗くらいは飲んでしまい、三度に一度ぐらいは酔いつぶれることでしょう。
 さらに日も暮れ、宴もたけなわとなります。残った酒が寄せ集められ、互いに声をかけあって、男女がともに同じ場所に集まってきます。履物は散らばり、杯や皿もあちこちに置きっぱなし、あかりも消えてしまいます。他の客たちが帰っていく中、わたしだけが主人に引きとめられ、真っ暗な中で手がはだけた襟に触れ、ほのかな香りまでただよってくるではありませんか。わたしは心の底から堪能し、一石は飲んでします」

『史記』「滑稽列伝」



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 「酒を飲むこと」を理解する上で、とても分かりやすい話といえます。偉い人の前で飲むとなると、身も心も緊張し萎縮して、とても「楽しんで飲む」とはいかず、無意識のうちに酔い潰れてしまう。これでは面白くない。しかし状況が許せば、つまり身も心も解放されるような状況であれば、その度合いに応じて楽しみも増し、心地よく酔うことができるというものです。
 酒の効用のひとつには、「楽しむことをより楽しくする」ことが上げられるのではないでしょうか。つまり、久々に会った友人や、あるいは無礼講(今でいえば合コンみたいなものでしょう)で、普通の会話をしていても、それはそれなりに楽しいでしょう。しかし、普段は言えないこともあるでしょうし、相手に心を許しきれない時もあるでしょう。そのような時に、手助けしてくれるのが「酒」です。久々に友達と会った。しかし、久し振りすぎてどこから話していいのか分からない、頭の中でいろんなことを考えすぎるからですね。そこでちょっとリミッター(制限、理性)を取り払って、「昔はこうだった」とか「実はあの子が好きだったんだよ」とか「この間、街で芸能人を見た」とか、和気あいあいとはしゃぐもよし、思い出話に興じるもよし。逆に、普段は言えない「人生とは何か」といったような真面目なことをしんみりと語りあうもよし。

 ところで、途中で出てきた「履物は散らばり、杯や皿もあちこちに置きっぱなし、あかりも消えてしまいます」を原文で拾うと、「履舃交錯、杯盤狼藉、堂上燭滅」とあって、これが「杯盤狼藉」の語源となっています。意味はこのまま、「酒宴がたけなわとなり、席が乱れて、杯や皿が散らばっている様子」となります。

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 これは余談ですけれども、淳于髠の話には続きがあって、

「酒極まれば乱れ、楽しみ極まれば悲しむと申します。何事もそのようなものでございますな」
 物事は極めてはいけない。極めれば衰えることを言って、諌めたのである。王は「よし」と言い、徹夜の宴を止め、淳于髠を諸侯の接待役に任命した。王は宴を開くときには淳于髠を必ず側に置いた。

『史記』「滑稽列伝」



 つまり、酒の楽しみ方を述べつつも諫言(【かんげん】。諌めの言葉)だったわけです。「亢龍【こうりゅう】悔いあり」という言葉があります。頂点まで上り詰めた龍は、あとは落ちるしかないように、地位などを極めてしまうと後は落ちぶれるしか先がないのだから、何事もほどほどにしておきなさい、ということです。これと同じ。酒も楽しいからといって飲みすぎると、品格を失って乱れてしまう。ケンカになってしまっては元も子もない。楽しいことも突きつめてしまうと、楽しみの感動も薄れてしまって、あとは悲しいことしか待っていない。だから、ほどほどにしておきなさい、と、そんな意味でしょう。それと察した威王はそれまでの徹夜の宴を止め、同じようなことがないようにと、酒宴を張る場合には淳于髠を側におくようにしたというわけです。

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 余談の余談。読み飛ばし可。
 古代中国の話には、こういうたとえ話がよく出てきます。偉い人に進言したいときに使われる手段として、①諫言、②たとえ話、③おおげさな表現、などがあります。
 諫言はそのままずばり、言いたいことを言う。「酒宴ばかり開いていてはダメでしょ」。しかし、相手は偉い人。恐れ入ってしまいますし、ヘタをすると機嫌を損ねて謂れもない罰を与えられるかもしれない。そこでよく使われるのが、たとえ話。一見、あまり関係ない話を用いて、やんわりとなだめる。あるいは、それと察するように促すというもの。賢い人はこのたとえ話が非常にうまく、古代ギリシアのアイソーポス(イソップ)のような人も出てきます。「現代中国は好きじゃないけど、古代中国の話は面白い」という人もいます(私も含めてですが)。ここでの本旨から外れるのでこれ以上は書きませんが、話のタネとして『史記』や『十八史略』などを読んでみるのをお勧めします(『史記』は故横山光輝さんの漫画で出ています。全15巻。残念ながら淳于髠の話は取り上げていません。せっかくなので1巻だけでも紹介)。



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 淳于髠のこの話は、酒飲み話として時々取り上げられる内容です。ちょっとだけ詳しく書いてみました。酒にまつわる話では、日本の戦国時代や中国の三国時代にも多くありますし、ジョークや格言となると世界中に数えきれないほど転がっていますので、徐々に紹介していきたいと思っています。
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